2010年10月19日火曜日

番外編:村田氏ご紹介

いつもお世話になって知っているようで知らない気になる方も多いと思われる。私のオーディオの師匠というよりオーディオの神様といったほうがよい村田氏のご紹介をしたいと思います。 
以下の略歴は私の執拗な懇願により村田氏ご本人から送って頂いたものを貼りつけただけのものです。嘘偽りの無い真摯な人となりも感じられるものと思います。 尚、忙しい方なので中途ですが、残りを送って頂き次第、文面を貼りつけていく予定です。


村田氏略歴


●中学生でオーディオに興味を持つ

アメリカ帰りの友人宅で聴いた「DORIS DAY'S GREATEST HITS」の軽快なスイング感にはまり、ポピュラー音楽を聴き始めたのが中学時代。
http://blog.goo.ne.jp/shiotch7/e/8a577f814a977f691ba2bfa87173bbbe


同じ時期に同級生から無線機の作り方を習い、この機械は動かなかったが、オーディオ雑誌を読むきっかけとなった。


●高校時代

高校の頃は学問などそっちのけで「ラジオ技術」、「無線と実験」「トランジスタ技術」など読みあさり、真空管パワーアンプやプリアンプの製作に没頭。

最も尊敬するライターが故人となった武末一馬氏。武末氏設計のOTLアンプは高価な出力トランスが不要であったため、両手の指の数くらい作ったと思う。

雑誌を沢山読みあさったお陰で、この頃には自力でアンプの設計が出来るようになっていた。

それが縁で大学は電氣でしょ、ということになり、半年間猛勉強? して日本大学の理工学部電気工学科に無事合格となった。


● 東京日本大学理学部電気工学科で「エネルギー・電力系」「エレクトロニクス系」「情報・通信系」「物性・材料系」「計測・制御系」「音響・光環境系」などの分野を学ぶ。


●東芝EMI入社 レコーディングエンジニアに配属 15年勤務する。


1969年4月に東芝EMI(当時の社名は東芝レコード(株))入社。秋葉原の佐藤無線、お茶の水のオーディオユニオンなどに通い詰め、給料をつぎ込んでJBLの375,537-500, HL89, McIntosh MC-275, JBL SG520 など、今でも名器と呼ばれる物は2~3年で買い集めてしまった。
http://www.ne.jp/asahi/my/maple/album/jbl537.htm
http://www.auduo-1.com/newgoods/I-J/JBL/375_HL89/375_HL89.html
http://www.bigaudio.co.jp/amp/275.htm
http://www.mat-hifi.co.jp/jbl/JBL.SG520.htm


でも大した音は出なかったし、これだけ買い集められる程猛烈に忙しかったので、アマチュアとしてのオーディオ歴はこのあたりで自然消滅となった。


今では上記の機器類や自作アンプは引っ越しや家の建て替えのときに処分してしまい一台も残っていない。


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1972年からレコーディングエンジニアとしての仕事が急増し、自宅に帰れたのは一週間に1回程度と記憶している。この頃の社会状況が全く記憶に無いほど仕事に没頭した時期で、オフコースなどニューミュージック系を担当した。
http://www25.tok2.com/home/jaoreco/wine.htm


2~3時間の睡眠でレコーディングに明け暮れたこの時期に、音の要素である周波数特性と位相特性を分解して聞き分ける演算回路が脳みその中に沢山できたのだと思う。つまり音に対する感性・言い換えれば脳内フィルターは後天的なもので、訓練すれば誰にでも手に入れられるものだと思う。

オフコースの「ワインの匂い」は東芝EMIの第一スタジオで録音したが、マルチチャンネルのテープレコーダーが主流になる前の2チャンネル録音のために作られたスタジオで、オーケストラゾーンは壁も天井も穴あきボード、床はカーペット敷きのデッドなスタジオで、オケを同時録音するのであれば多数のマイクに適度に楽器の音が混ざり合って臨場感が得られるが、楽器1個々を単独に重ねるマルチ録音には最も適合しないスタジオであった。


オフコースのワインの匂いは名盤と言われているが、音的には空気感の欠如した酷い音だ。この頃からルームアコースティックに強い関心を持ち始めた。

レコーディングエンジニアの仕事に終止符を打つ前の最後の担当アーティストが稲垣潤一で、当時最もライブなスタジオであった僕が設計を担当した東芝EMIの第三スタジオを多用したため、空気感を含むサウンドに仕上がっている。
http://www.j-inagaki.com/

空気感を含むスネアの音やキックドラムの音を、デッドなスタジオで集音したドラムスの音にミックスしようと設計製作した「LMD-649」 が、YMO のテクノデリックで大活躍し、先日出版さ(2010/7/29)Yellow Magic Orchestra x SUKITA からメッセジ依頼があった。


LMD-649も、サブウーファの D.Cube2も僕自身が使うために作り上げたものなのだが、徹底的にこだわって作った作品は人生に思いがけない出会いをもたらしてくれるもののようだ。
YMO写真集、YMO活動年表、YMOのメンバー・インタヴュー、YMOの活動に係わった
約40人のコメント、を集め、今年7月に出版された厚さ25mmのとてもお洒落な本です。

下記が Amazon のリンク先。
http://www.amazon.co.jp/Yellow-Magic-Orchestra%C3%97SUKITA-Orchestra-%E9%8B%A4%E7%94%B0%E6%AD%A3%E7%BE%A9/dp/4887452322/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1287108497&sr=1-1-spell


コメントを寄せた人たちは著名人ばかりで、誰でも知っていそうな名前を拾うと、

糸井重里(コピーライター)、大貫妙子、オノ・ヨーコ、村上龍、矢野顕子、横尾忠則、渡辺香津美、その他業界関係の大物ばかりです。

YMOの録音現場で大活躍をしたサンプリングマシンの製作者としてコメント依頼がありました。
【村田氏のコメント】
第三スタジオ建設の経験から、物理的な反射材による音場コントロールに限界を感じ、オーケストラゾーンの壁や天井に沢山のスピーカーを仕込み、マイクロフォンで集音した音にコンサートホールで使う壁材の反射特性に見立てた周波数特性を与え、広さを感じさせるディレーをかけオーケストラゾーンのスピーカーに戻してやれば残響時間と響きの音質を自由にコントロール出来るはずだ、との思いから当時演算速度が遅くて使い物にならないように見えたDSPを物量投入して
並列演算を行うFIRコンボリュージョンシステムの試作を始めた。

1987年、東芝EMI退社(後半の3年間は関連会社のファンハウス)。
退社と言うより、レコーディングに興味を失ってしまって首になったと言った方が正しい。

●独立
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1989年、某大手ゼネコンの音響研究所に1億円の半分くらいの価格でFIRコンボリュージョンシステムが売れてしまった! 
このとき使ったDSP-ICが型番を忘れてしまったがテキサスインスツルメンツの製品で、12~3年後に自社製品として販売したD.Cube2などの原型である。

初代製品はDSPを1500個搭載して並列演算を実行する消費電力0.5kWのシステムで、強制空冷でファンがぶんぶん唸るピュアオーディオには縁遠いシステムであった。

続く・・・

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